第二五七稿(ビリヤードの話、これは【文字通り】パイプではない) - 日々の泡沫
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第二五七稿(ビリヤードの話、これは【文字通り】パイプではない)

ハスラー2が大流行した世代で(80年代)、当時はバブルが弾ける前だったからかタケノコのように各地にプールバーなるものが林立していた。ワンレンでボディコンとかのお姉さん達が本当にいて、ぶかぶかのソフトスーツを着てカクテルなんかを飲みながら遊ぶ人々が実際に存在していた頃の話だ。

原タイトルは「The Color of Money」、監督はマーチン・スコセッシ。
元ネタとして「ハスラー」、監督は特に有名でもないがポール・ニューマンがファースト・エディ役を演じるちょい硬派な一種の任侠物の白黒映画。いかさま・ゴト師だが実は名誉と腕で勝負したい、しかし勝負に勝っても失うものが多く、うら悲しさが残る、というような味付けだった。
ストーリーに直接つながりはないが、ハスラー2では中年になったファースト・エディが再登場する。つまりやっぱり勝負と金の話。ただ、こちらのラストには少々吹っ切れた明るさがある。単に勝負ジャンキーの開き直りとも。男は戦ってなんぼ、という本能を刺激する映画で日本で大ヒットした。イケイケの時代の後押しもあっただろう。


高校生であった私は友人に連れられて東京の(それも確か新宿だった)キラキラ、あるいはギラギラした夜の街の洗礼を受けたのだけど、幸か不幸かそこで勝負ごとにどっぷりとはまった訳ではなかった。それは単にパチンコ競馬に競輪等々、やらない社会階層に属していたからだろう。とは言え、99.9%負けが確定してるとしても、それ以外に一発逆転の目のない(あるいはそう思ってる)人々にとってギャンブルとは実に蠱惑的であるのはわかる。少なくとも、心情的には理解できてしまう。

ただ当時は(も)、充分にナイーブであった私は賭け事をするわけでもなく、またそんな道に引きずり込む悪友もおらず、ただ瀟洒なビロードの上をカラフルな球が転がる様が楽しかった。そして大学へ入った後も、特有の気難しさからかあまり学生らしい「学生活動」をしなかったので、正門の直近に昭和の香り漂う渋い撞球店があったのにも関わらず、その存在すら知らず、お店はいつしか改装されて近代的ビルになってしまった。(改装されたがお店自体はまだ中に入ってるはずだ。)
機会さえあれば本人はいつでも球撞きはしたかったのだが、独りで遊技場へ行くという選択肢がなかったのだ。二十歳を過ぎていたのになんだが、幼く世間知らずだったということだろう。だから若い人が一人であちこち行かない、女性が一人で外食ができない、等と聞けばそれもそんなものだ、と思ったりはする。

一人で店に行くようになったのは、それから10年程も経った頃だ。いわゆるホームができたし、他店へ修行しに行く、なんてことも理解できるようになった。一人で行けば相手が出てくる。道場主が手合いをしてくれずとも、誰か適当な相手をあてがってくれることもある。つまり、かつての武士や剣客がしてきたことが今でも行われているのだ。血生臭さの度合いこそ遥かに違えど、宮本武蔵がいまだに人気で文芸や漫画でもリメイクされ、ビジネスマンに五輪書がついつい読まれ続けるのもむべなるかなと思ったりもする。つまり、何かの形で「勝負」をする、またはその練習・シミュレーションを行う、ということは人間本来の(とりわけ生物的なオスの)もので、善悪の彼岸を超えてるのかとも思う。

そんなわけで、その時期(結局はお遊びの範疇を出ないのではあるが)勝負事の甘美さ(と中毒性)に遅まきながら目覚め、また道具を揃えたりし始めれば生来の道具好きもあってすっかり入れ込んでしまった。手に入れたキューの数も5、6本は下らない。とは言え、80年代のブームはとっくに去っていた割に選手層は意外と厚く、私なぞは小さなハウストーナメントで準優勝したことが一度あるきりで、ちっとも勝てなかった。もっとも、付け焼刃の生兵法ではそんなものだろう。海外旅行の際にも地元の撞球場を探して訪れたりと各地で撞いたりもしたけれど、専門でやりきれない私はいずれ戦いの場から自然と淘汰されてしまったのだ。

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パリのクリシー広場の傍にあるアカデミー・ドゥ・ビヤール、ここで撞くのが憧れであったのだが、先日聞いたところによれば閉店してしまっていた。正確には今はポーカーのクラブになっている模様。

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ポーカーは比較的盛んだ。どちらも勝負事・言い方によってはスポーツの範疇ではあろうが、より金の動く方へと変わっていくのだろう。私は肉体からの入力が欲しい方なので、今の所カードゲームにはあまり興味はない。
現在地下鉄の地図にはまだ表記が残ってるし、以前通りかかった時にはまだビリヤードテーブルがあったので、その時行っておかなかったのは悔やまれる。


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ところで2016年に一時帰国した際、その道具を飛行機に積み込むことにした。戦場に戻ることにした、等と大袈裟なものでは決してなく、単に運動不足を解消したい位の動機だ。あるいは、でも、ここは選手層が薄そうなので小さなトーナメントくらいはとれるかも知れぬと甘い考えもある。とは言え単に、玉転がしが好きなだけ、と言っても良いのかも知れない。あるいは少し生活に飽いて、刺激が欲しいのかも知れない。

フランスは伝統的にはスリークッションの国で、殆どの日本人のするいわゆるナインボールや10ボールはアメリカンとわざわざ言うのだけれど、ビリヤード場はあまりないように思っていた。あってもまじめに練習をしているような光景は見た事がない。どちらかと言えば友人同士で酒を飲みながらの社交が普通だ。小さ目のコインテーブルが多く、多くの場合ブラックボールと呼ばれるエイトボールをする。それが近場にちょっとしたクラブが(スリーがメインだが)あることを最近知り、またその70年代ぽい佇まいが個人的にはとても良く、ぼちぼち通おうとしている。

それで先日、一人で練習をしていたら若者が一緒にどうですか、と聞いてきた。私は現地の習慣を全く知らないので、少々躊躇いつつも、そこは正直に金を賭けない事を確認し「勝負」に挑んだのだけれども、いざ始まれば目を見張るような腕前で完全に叩きのめされてしまった。訊きただせばなんとナショナルチャンピオンだと言う。つまりフレンチオープンの覇者で、それも二度優勝してるとのこと。ビリヤードはどこでも小さな世界で、その気になればどこの国のトップレベルの選手に会ったりするのは(他の競技に比べれば)比較的なし得る事ではあるものの、個人的には何年振りかに知らぬプレーヤーと相撞きして(業界ではこう言う、相席みたいな用語だ)、それがいきなりこのレベルとは驚いたり手に汗握ったり、でも嬉しかったり。それと同時に、修練すれば結構いい所まで行けるのでは?等と言う甘い考えがすっかり潰えたのも事実だ。どこに行っても、またどんな分野でも上にはいつも上がいる。

誰かが勝つには当然敗者の存在が不可欠なのだから、まあそれはそういうことだろう。全ての分野で勝つ者は存在しないし、また仮に勝ったとして勝ち続ける人もいない。だからこそ、勝負は避けなければならない、という結論もまた良い。それでも目に見えぬ勝ち負けとはいつでも世界に偏在するのだし、仕方ないと思いつつフィールドを定めて戦うフリをするのもまた方便かと思う。一度戦えば仲良くなる、なんて男くさいお話も一応は認めよう。ただ最終的には佳く負ける人になりたい。人生とは負けの連続とも言えるのだから。
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