第4989杯(シャンパン、あるいはシャンパーニュ=勝利の美酒) - 5000夜(文章ノート)
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第4989杯(シャンパン、あるいはシャンパーニュ=勝利の美酒)

もう先月のことになるけれど、とある取材の通訳の仕事を得たのでシャンパーニュ地方というところへ行ってきた。東へ150㎞程の場所でブドウ畑ばかりが広がる。だらだらといつまでも続く多少の丘陵はあっても大概は平たんな土地で、その先に山地が控えているわけではないことを除けば、果樹に適した扇状地などと風景としては良く似ている気がする。要は、緑みどりしたブドウ畑だ。今ではほとんどあの有名なシャンパンの産地としてのみ知られているだけの好田舎(今作った造語だ)であるけれど、ちょうど100年前は多くの兵隊の血を大量に飲み干した土地でもあった。
100年なんて短いようで長く、長いようで短い。古い写真なぞを見ているとなんだかぼやけて現実味もなく思えるけれど、もし仮にその場にいたらまったくそうではないだろう。今私がこの眼前に見ているのと寸分違わぬ鮮明さで、人々がむやみやたらと塹壕を掘り、そこへ何か月も潜りこみ、そして「祖国」のために死んでいくのが見れるだろう。(反発は買うだろうが)多少過激なこと(そして悲しい事実)を言うならば、兵隊なんて女子供を(それも身内に、つまり自らの属する社会や国家といったナニモノかに)質草にとられた愚か者でしかない。それでも「敵」に盗られるよりはまし、と覚悟して割り切れる程考えが進んでいたわけでもなかろう。

シャンパンとは要は発泡ワインだけれど正確さを期すならば似て異なる。モノが異なるというより、カテゴリー分けが権力によって厳密にされ、原料とその産地、製法、炭酸ガスの保有量などに至るまで法によって定められているという意味で異なるのだ。つまり、シャンパーニュという名称は囲い込みがされ、それ以外のものはそう呼ぶべからずとお触れがでている。そしてフランス国内で決まっているのみならいざ知らず、諸外国にもそれを強要する(要請と言うか忖度というかは単に主観的な問題だ)ことのできる位のものでもある。そうやって国を挙げてのブランド化を推し進めると同時に、「お祝いにはシャンパンがつきもの」いうイメージ戦略を国際的に見事に成功させた。シャンパンで乾杯する、というのは特に伝統的にそういうものだった訳でもないので(かつてはデザートと一緒に飲まれていた)、F1の表彰台あたり多大な貢献があったと言うべきなのだろう。ここ数十年で出荷量が倍倍の三倍位に激増しているというのだから、見事な快進撃だ。それで、塹壕に埋もれた彼らの爺さんや曽爺さん達も本懐を遂げたと思うだろうかどうかは、畢竟私などには知るところではない。

日本の土地ではまだそれほど知名度の高いわけではないとあるメゾンを、販売元であるビール会社が大々的に売り出すということで取材があったのだ。大手の広告代理店がらみでイベントやらなにやらを打つらしい。金はあるところにはある、という感じだ。そしてそんなイベントだから音楽家やダンサーがやってくる。メゾンの一家の居城にはフジタ嗣治の絵も飾ってあった。なんでも戦後、戦争協力をけちょんけちょんに批判され、やってられるかと日本を棄てたフジタがキリスト教徒にコンバートし、その洗礼式の際、メゾンの主が代父になった所縁があるらしい。芸術にはパトロンが必要なのだ。これらは皆、気の良い人々ではあった。
と同時に私は、「農民芸術」なんてナイーヴなことを言っていた賢治のことを多少は切なく思い出していた。大戦当時のプワリュ(Poilu、ひげ面・毛むくじゃら)と呼ばれていた兵隊さん達も、塹壕戦の暇な時には薬莢とナイフで彫刻などを作っていたそうだ。アール・ブリュット(Art Brut、ブリュット=生のままの)とか、ナイーヴ・アートなんて今ならカテゴリー分けされるのだろう。そしていつか必ず、忘れさられるのだろう。

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