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第4990企業(人の集まりと国家リヴァイアサン、「人工」知能社会主義)

すっかり創造力が枯れてしまった。もっともそれがあったとしての話だが。もともとそんなものはなかったのかも知れないが、少なくともその意志はあったのだ。
思えば、中年になってから社会参画を強力に謳いだしたサルトルを持ちだすまでもなく、数少なくない作家・芸術家が年齢と共にその創造力の枯渇と歩を合わせるようにして政治的になっていくのも別に驚くには値しない。創造的な天才とはそもそも若さゆえになし得ることなのかも知れないし、故に夭折すればするほど良い。そうでなければ、どのようにして「ものの言いたさ」を担保すれば良いのだろう。革新的な創造力と言うのは殆ど若さと同等なのだ。年を取ると共に誰しも少しずつは社会・世界と自らは同化していくのであるし、何も新しいことなんか出てこなくなる。同時に、今までは他人事であった社会事がなにか特別に大事なことのように思われてくる。さまざまの不正や悲劇を見るにつけ、どうにも黙ってはいられなくなるものだ。家族・親族や身内や部下を思うあまりついうるさ型になってしまう世のお父さん連と結局同じという事だろうか。

若い頃は新聞なんか読まなかった。むしろ積極的に嫌っていたと言っていい。とりわけ政治面や社会面は唾棄の対象であったのだ。政治は馬鹿すぎるし社会は悲惨すぎて正視するに堪えないと思っていたのだ。見るたびに暗い気持ちになる。それで読むのをやめてしまった。それでとりあえず何事にも高見の見物を決めるノンポリとなることに成功したわけだが(なんてお手軽な成功だろう)、ついに中年になり人並みに政治を語らねばならぬという気持ちになり、そして改めて見てみれば状況はまったく変わらない。むしろ悪くなっているとしか思えない。嘘ばかりつく人達が連日ニュースを賑わせ、そして人々は二つや三つにわかれて罵倒しあってる。これは一体どうしたことだろう。

悪いのは、ある程度世界を見て回って、様々の不正や不公平をじかに知るにつけ、それを正さねばと思う以上にどうにもならない感が強いことだろうか。なにせ誰しもがその正義を抱えているのだ。どちらも悪くそしてどちらも正しい。私は(あくまで便宜的に)、強者を悪とし、権力を悪とし、とりわけ利益を追う大商人達をその根源であるとする傾向があるのを自覚しているけれど、実際に一人一人にあたって見れば、小物しかいないのも知っている。とある事故にて逆説的に世界中に名を馳せてしまった大企業の責任者を個人的に私は知っていた。友人の父君であったのだ。奥さんに隠れてガレージで煙草を吸う、囲碁の好きな気のよいお父さんであったのを良く覚えている。それ以上でも以下でもない。「責任」は免れるものとも思わないけれど、巨悪や極悪人なんて小説的概念とは程遠いのも確かだ。

もしかすると正しいという事が悪いのかも知れない。人間が悪いのかも知れない。ついには人の集まり自体が悪いのかも知れないと思う。

私は何事においても一人で行動するのが好きだから、うっかりとあまり気づかなかったのだけれど、人は一人では生きていけぬし、また集まるのが好きなものだ。そしてそれは確かに楽しく時に美しい。近頃、私は近所に同じ日本人の若者が住んでいることを偶然知り、その知己を得たのだが、日本語で他愛ない事をお喋りしているとそれはそれは楽しい。コミュニケーションにおいて楽でもあるし、何気ない冗談ややりとりが心地よい。二度程連れだって遊びに出たりもしたものだ。

同時にはたと気づくのが、連れだって楽しそうにしているとそれだけで他を排してしまう。見た目が異なり、そして何より言葉が通じぬからだ。小柄なアジア人が二人なら大したことはないだろうが、これが五人もいればそれだけで十分に圧力となるだろうことは想像に難くない。とは言え、集まるなとも言えないのだ。同朋で集まるのはなにしろ楽しく、楽でそして時には美しいのだから。

そして、そんな風に思えば何かもかもがなるようにしかならぬ。私は、技術の発展を待って、AIに世の中を任せればいいのではないかと夢見るようになってしまった。それでも映画マトリックスのようになるだけかも知れないが。さて、同朋のために戦いに出るとするか。キャプテン・ミフネはどこだろう。

キーワード:アンガージュマン、社会参画、投企、企業、人の集まり、共生、ホッブズ、マトリックス。
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