第4993日の丸(土地の感じ) - スポンサー広告5000夜(文章ノート)

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第4993日の丸(土地の感じ)

それでバイク乗りとは自由を愛するリベラルな人種であると、若い頃は自然と思っていたから、とある時「白バイかっけー」と殆ど憧憬の眼差しをしながら言うライダーを見て心底驚いたことがあった。映画イージーライダーあたりを見て無頼派を気取るのが「通」で、また「筋」でもあったから、反権力は当然のこととして、既成の概念や社会構造に少なくとも何らかの疑いを挟むのがライダーたるものだと思っていたわけだ。正確に言えば思っていた、というより存在自体に本質的に含意されてるものと信じて疑ってなかった。

(ちなみにイージーライダーを通じて世界中の若者が憧れたハーレー、欧州車次いで日本車の攻勢によって経営が悪化し倒産寸前までいったが、その後米国のてこ入れもあって見事に復活を果たした。高率の関税で保護されるような「国家のシンボル的企業」になった時点で、私などは何が自由のシンボルだ等とまた青臭いことを思ったものだが、実際ハーレーを好む人達は世界のどこでも小金持ちのオヤジ衆が鉄板で、言わば草の根のプチナショナリズムを底支えするような層になったことは皮肉にも的を得ているように思われる。)

もっとも、かつての私の言う所の「反権力」なんて、スピード出し過ぎたら白バイにお縄になってむかつく、位の浅薄な意味合いしかなかったのかも知れない。とは言え、いずれにしても、ライダーでありながら白バイに憧れる、と言うのは世間知らずであった当時の私にとってはまさに青天の霹靂であり、そして理解を超え、最終的には侮蔑の対象となった。確かにその彼は、上にへつらい下には威張るというタイプのどちらかと言えば(私には)好感を持ちにくい男ではあった。

ところが、こんな私が自車に日の丸を付ける、と言う事があった。人は時と場合によってこうも変わるものかと思う。ちょうど2011年の震災があった後のことで、私はひとり他国におり、古ぼけたスズキに乗り、つまり寄る辺がなかったという事なのだと思う。当時所属していた大学機関が日本の震災に関して公式に集いを催してくれたのだが、日本人は私を含め三人しかおらず、いずれも初対面、かつこれといって話が弾むわけでもない。人々は口々にお悔やみを言ってくれるが私には何もできず、要は悲しくも孤独であった。道を行くにしても、私には頭のネジが飛んでるようにしか見えぬ無頓着さで車の列に突っ込んでいくこの地のライダー達はとても同朋とも思えず、むしろ同じ人類とさえ思えず、従って一度たりともそれについていくこともできず、文字通り孤軍命を張り、このままでは何時かついに異国の地に客死するかも知れぬと思えたのだ。だから、日の丸の小さなステッカーを作り、GSXRのサイドカウルに貼り付けてみればそれはあたかも戦闘機のようで美しかった。ヘルメットにも貼ったのだ。

キーワード:イージーライダー、ハーレーダビッドソン、反権力、ナショナリズム、血縁と地縁。
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