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第4999風(文体と表現について)

つらつらと文をものしてそれなりの期間が経つけれど、いまだに文体には悩む。わかりやすく言うと、「論文調」と「ですます調」の狭間で悩んでしまう。実際には程よく混ぜるようにして凌いでいるけれど、本来ならば言い切りの論文調で統一したい。なぜならその方が内容に重みがあるように感じられるからだ。つまりチートである。

ところが特定のテーマで物を言おうとすると、その領域内に多数いるであろう同士やら先輩やら通やらマニアやらの人々の実際の存在が脳裏に浮かんで、言い方はやはり急に社会的にならざるを得ない。本来横柄な物言いをする人をとても嫌うので、自分でやるわけにはいかないのだ。また内容に自信がない時は、急にですます調になったりもする。それはなんだか情けないようでもある。

敵をつくるのが怖いのだ。ところで一般には、(生物学的な意味での)男子とは争いがどうも大好きなようだ。敵がどこかにいないといけない。思えば我々がおサルであった時より以来数十万年、外敵を探しそれに対処することが至上命題であったのだから、無下なることかとも思う。だから現代においても、人の話し方の中に、男性的言い回しと女性的言い回しという二項対立を認めることは簡単なのだ。

時に、これを競合的・協調的と言い換えるべきだ、という意見もある。つまり男性間でも協調的な物言いをすることはあるし、その逆も然りなのだから、型にはめるような表現自体を見直した方が良い。いわゆるポリティカル・コレクトネスに属するようなことだ。私もその意味においては、その通りであると思う。ただ色々と複雑なので、この話題については時折触れることになるだろう。

いずれにしても、それで世に溢れる対立を見るにつけ、嫌だと思い避けるようにしてきた。ところが、避ける事ばかりを優先すると結局何も言えなくなっていくのも事実だ。だから、なるべく本心を述べるようにしたい。世にはですます調で統一しつつイスラムの教えを説くような心根の優れた人がいるのを知っているけれど、残念ながら私にはですますでは何も言えそうにない。心情的にチートを必要とするから。それでなるべく人には不快な思いをさせないように気を付けつつも論文調で書くのである。

キーワード:文体、ジェンダー、ポリティカル・コレクトネス、紛争、男性性。

2017年2月24日。
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