第二四五稿(ダンヒルvsMyth Destroyer、その四) - これはバイク(パイプ)ではない。
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第二四五稿(ダンヒルvsMyth Destroyer、その四)

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第二四二稿(Al Pasciaのダンヒル記事全訳その一)
第二四三稿(Al Pasciaのダンヒル記事全訳その二にして完)

昨年末に入手した一本目のダンヒル。
ダンヒルに関してはあまりに多くの人々が賞賛し蒐集し愛で
パイプスモーキングにおいては確固たる地位をもった存在だと思われるので
私などがとやかく言う事は何もないのですが、それでも何か言いたくなるのが性です。
事実、過去に駄文を重ねてるし、その分の落とし前をつけなくては、というのもあります。

クラッシックシェイプの正統性・美しさ等に関してはまさにその通り、と思うのですが
―あるいは美の基準とは所詮作られるものであるとも言える―
気になるのは本当にそれだけに特殊な旨さ、というものが存在するのか、ということ。
つまり、多少なりとも伝説的な「オイルキュアリング」に関して実際どうなのかな、ということではあります。

世紀を跨いで高級なパイプを作り続けてきたダンヒルですから、少なからず愛好家がいて
少なからない研究が行われてる。そして少なからず信奉され続けていると言えそう。
そこで私もその秘蹟を垣間見るべくオークションという荒海へ乗り出した。

本来ならば自ら数多くの経験を積んで語るべきかも知れませんが
同時に決して学術的なことをする意図もないので、以下かなり勝手なことを言うと思われます。

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望外にニアミントのコンディションのものが手に入った。
ほとんど使用されてないだろう、との記述があったけれど届いてみれば
ほぼアンスモークではないかと思われる状態。
ボウル内部には制作時についたと思われる冶具の跡らしきものも残っていたし
煙道に至っては完全に無垢であった。

そこで気になる内部のキュアリングとは。

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参考までに私が今まで新品で入手したものの内壁と比べてみれば確かに違う。
でも、これが果たして件のキュアリングの結果なのかどうか。
正直私にはそれはわからない。
手触りは古家具のようでもあり、染料が廻っているようでもあり
また底の方は黒く焦げているようでもある。
いずれにしてもそれ以上はわからない、というのが実情です。
(※ちなみに舐めてみればそれは無味であった。
ところで喫煙済みのボウル内壁は一様に塩味がする。塩で清掃はしていない。)

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気になるのは製作年コードですが、判別しづらい。小さくない9にアンダーバーのように見える。
デイティングガイドについては既に先人の方々が詳細なデータを上げていてくれます。

・Ye Olde Biriarsさん Alfred Dunhill Nomenclature guide
・Logos&Markingsさん Dunhill Dating Key
・パイペディアさん A Dunhill Pipe Dating Guide

それでも一寸わからないのが、アンダーバーの扱い。
Pipediaでは61-70年まではアンダーバーは省略される、となっている。
(55-60年はアンダーバーは省略されることもあると記述されてる。)
その割には、61-70年を示す大きな数字にアンダーバー付の例も図示されている。つまり記載と図に矛盾がある。

つまりこの情報だけでは、9が大きいか小さいかがはっきりしない以上
59か69か判別できないのですが、その右に11と打刻してあるように思えるので
恐らく69年製造、71年販売と考えるのが妥当だと判断しました。

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ごく僅かに跡のあったステム。もちろんこれくらいなら磨き消すのは容易です。
ところで古いものを探すにあたって、素人ながら私が気にしたのはオリジナルのステムかどうかでした。

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そこでインナーチューブが残っていて、かつほぼアンスモークであれば、まず間違いないだろうと。
ステムをリプレイスする必然性は限りなく低かろう、と判断したのでした。
もちろん100%そうだとも思ってませんが、まずそうだろうと。
ちなみにインナーチューブは迷いましたが、掃除具のない時代の名残、と聞いて外して使ってる。

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シェイプ№60のなんてことのないビリヤード。
軽く前傾して見えてスピード感があるように思う。
小さく軽く扱いやすいですが、チャンバー内径は20㎜ある。
古いダンヒルをいろいろ見ていて壁が薄いな、と気になっていましたが、丁度5㎜の厚さがあり
熱さも気にならない。むしろこの厚さで熱くしない程度が適温なのかも知れない。

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60年代の比較的穏やかなブラストと言われる通りの肌合い。
私的にはエイリアンのギーガー的有機体、あるいはそのスターシップを思い起こさせるようで気に入っている。

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企画倒れになりましたがカステロと。
色合いといいシェイプといい、渋渋と渋派手くらいの違いがある。
カステロは光らせたいけれど、ダンヒルはそう思わない。
アクリルとエボナイトの違いはあるけれど、噛み跡をつけたくない私には大差はない。
手入れが楽なのはもちろんアクリル。
それに対してエボナイトには微妙な味(存在自体の。喫味という意味ではない。あと磨くと匂い)がある。
でもどちらも似ている、と言えば似ている。
ボウルの大きさもほぼ同じ。いずれも軽くて扱いやすい。
そして味のほうは―

これより以降は私の独断と偏見によりますが―どちらも美味しく素晴らしい。
無論、これだけでわかった、と言うつもりも毛頭なく、そもそもこの個体にいわゆる「キュアリング」が
なされているかどうかさえ不明です。

ただ、私が普通の頭で思うに、キュアリングが良く言われているように樹脂を取り除くための
木材の表面の下処理であるならば、ある種の人々の間にそれによって何らかの伝説を形作ることはあるにせよ、
たばこの味を劇的に変えるとは正直考えにくいものです。
つまり美味しい料理を作るのに鍋の表面が効いてくるとは普通考えない。

また例えばインナーチューブの有無でも味の変化は感じられません。
煙を冷やす云々言われることもあるようですが、私はこれにも懐疑的です。
そもそもいわゆるノーズ・ウォーマーと言われる(仏語ではbrûle-gueule面焼き、あるいは顎焼き)
短いタイプのパイプでも煙が熱くて不味い、というのは聞きません。
その為には余程強く吸うか、あるいはもっと本当に短いか―つまり1㎝とか、
シガレットでフィルターぎりぎりまで行けば確かに熱は感じるでしょう―でなければならないでしょう。
つまりあくまで適度な火種が肝要なのであって、後から煙を冷やす云々はなにか話が違うような気はする。

ただ、鍋の素材が良くて遠赤外線とかがでて(つまり表面が、ではなく)火加減がよろしくなる、そんなお話なら別かも知れません。
いずれにしても検証できませんし、それもまたミステリアスな言説ですが、それでも頭ごなしに否定はしません。
あるかも知れない。少なくとも火加減が、というなら余程理にかなってる。
もっとも、キュアリングに関しても人ははじめからそういう意味で言っているのかも知れず、私だけが短絡的に
キュアリング→木の表面が変化→壁を沿う煙の味に影響→えっ?

のように勝手に解釈して独り相撲をとっているのかも知れない。

コーンパイプが初めのうちだけはコーンの味がする、と言われているように
ある程度カーボンに覆われてしまえば、素材の表面はそれ程影響を与えないはずです。
ただ、メシャムやクレーには違う味わいがある、という人達は多くいるでしょうし
そんなこともあるかも知れませんね。
同様にキュアリングにだってそんなこともあるのかも知れません。

個人的には、火加減と詰め方(つまり結局火加減か)、と思ってます。あと体調でしょうか。
火の加減についてはボウルの形状や内部構造は影響するでしょうし、その意味でもちろん個体差はあるでしょう。
素材差を言うのなら熱伝導率だって当然異なる。
それで、パイプとは美味しい時には本当に美味しい。
もともと大の甘党である私が、「激甘の甘露味」と呼んでいる良いコンディション、
これ以上甘くなったらくどいのでは、と思う程の状態とはパイプを選ばずなるように感じています。
ただ、使いにくいパイプは確かにある。
例えば自分の場合だと、ピーターソンのスピゴットはいまひとつです。
そしてそう思っているから、なかなか手が伸びず、結果慣れることがない、という循環に。
ただ、慣れている人が使えばまた異なるのではないか、とも思うのです。

だから、カーボンを分厚くつけた方が美味しい、という説が今ではほとんど退けられたように
「キュアリングだから無茶旨い」、という言説がもしあるとしたら、
個人的にはそれも過去のものになるのではと密かに思ってる。
もっとも私だけが微妙な味がわからず、そんなことを言ってるのかも知れない。
そしてそれはそれで構わない。
趣味を形成する文化とは、科学とはまた違うのだし、いろんな幅があって然るべきものです。
その意味で「信仰」が根強くあるのもまた面白い。
理にかなってない、と反論するのもまたおかし。
ただ反論しすぎるのもまたつまらない。
だから心のうちで密かに愉しむのは実はなくならないのかも知れないし―だからこその秘蹟なのだ―
それが「理不尽」なまでの悪徳の悦びでもあるのかも知れないのだ。
(ああなんて旨いんだと'69シェルブライヤーを吸いながら。)
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