第二三四稿(ダンヒルvsカステロ、その一)
英式と伊式とは何気に比較され易く、時にそのスタイルにおいて派閥を形成したりまで
することがあるように思われます。
車においても然り、ファッションに於いても然り。
料理に関しては英式は完全に戦いを放棄し、その代り政治・金融に於いては無双しているの感が
あるけれど、その他の領域に関しても色々と比較の対象にはなるところ。
オペラを持ってきても良いし、代わりにパンクやロックを論じてもいい。
ニュートンとガリレイとを思い浮かべるのもありだし
カトリックとプロテスタントの比較をしても面白い。
古代ローマ帝国と近代の大英帝国覇権の対比をしてみてもいい。

好むと好まずとに関わりなく、いずれも世界の趨勢と人間の文化に大きな影響を与えてきたわけだから
私たちの意識の中に相応のインパクトがあるのも当然と言えますが
あえてそのどちらを「好む」のかと言い出すと自ずと個人の立ち位置が見えてくる。
もちろんその双方ともに興味がない、というのならそれはそれで問題がない。
とは言え、知らず影響を受けているのが本来であれば、意識して見てみるのも無意味ではないでしょう。
また、私自身は民族という概念を無批判に受け入れる程には無垢ではありませんが
そういう分野分けが一般に好まれるのも事実です。
そんな時、ふと思い出すのがかつてある本屋で立ち読みした本に
イギリス男とイタリア男のどちらが「良い」か、なんて考察があった。
誰の著作か覚えていないのだけれど、いずれにしても昭和時代、
外交官の娘的な立場のとある女史の書いたものであったのは記憶している。
これが男女が逆の立場であれば到底受け入れられないような「下品」な比較ではあると思うけれど
(立場の強い)男批評ならばその問題はクリアできる。
それに昭和当時そんな比較のできる立場にいた人なんて実際限られるであろうし
それなりの見識と筆力で書かれていれば、良い読み物にもなるというもの。
そしてそこでの結論とは、イタリア男はお洒落において非の打ちどころがない。
でも一見地味なイギリス男は、なぜかそれをはるかに凌駕する、というもの。
(ここでダンヒル党はニヤリとする。)
私個人としては、そもそもそんな比較にどれ程意味があろうか、とか
あるいはやっぱり「下品な」ことをサラリと、かつ気取って言いやがって位の感想さえ持つのだけど
一つ言えるとしたら、(男女を問わず)人は一体そんな比較をついしてしまうものであるし
また、「正統的・伝統的」であるという事に惹きつけられてしまう人も多いのだ。
あえて意地の悪い事を言うならば、それがどんなに下らない人々であると仮定しても
ハイクラスに属する人達が世紀をまたいで着こなしてきたものは
エレガントに見えざるを得ない、ということでしょう。
というより、エレガンスとはそもそもそういうものを指す、と言ってもいいのかも知れない。

そんな風に思えば、渋好みと言うのはいつの時代も通の中ではより通を指すのであり
九鬼周造の説くところの「粋(いき)の構造」においても、それは例外なく解き明かされる。
我が国の歴史を振り返ってみても、戦国の世の末、ふぇらぁりやらんぼるぎぃにを喜んで乗り回していた
秀吉が、茶の師匠である利休に成金趣味と一蹴にけなされ
それを根に持ちいずれ切腹を命じたりしたのも得心がいくと言うものなのです。
さて、そんなわけでダンヒルには興味がない、なんて(比較的普通に、でも若干は斜に構えて)
思っていた私も、少しは勉強しないといけない。少なくともそう思うようにはなってきた。
しかし、これは奥が深い。
・トリニティ・スクール/文科系・パイプ研究会
思えば20年程も前、私がイタリアのバイクに乗り始めた頃
確かに東京のトリニティ・スクールというのは耳にしたことがありました。
トライアンフ等の英国旧車を生徒が一から組み上げる、というかなりハードコアな内容で
凄えな、と思いつつも自分のスタイルではないし
当時機械いじりにも特に興味のなかった私には縁のない場所だと思っていたのです。
ダンヒルを調べていて目にするとは思わなかったけれど
(浅学にてバイカーズ・ステーションにそんな連載があるなんてことも知らなかった。)
パイプとバイクなんて男の組み合わせ、とっくに極めてる先達がいたのも
誰にでもできる事では全くないとは言え、思えば十分あり得ることだなあと。
古い英車に古いダンヒル、確かに。
しかし、アルジェリアのブライアーにオイル・キュアリング、古くて良質の木、戦前・戦後に
古いKeywoodieやピーターソン、はたまた普段使いのフレンチ系などなど
ちょっと今のところ私にはわからないことが多い。いずれわかるのかも知れないけれど、そうでもないかも知れない。
それにしてもここまでキュアリングにて味が違う、とか古い時代の良質の木がなくなったが故の誤魔化しが等と
言われると、そうなのかな、とも思いまた、いやいや心理的なものでは、とも思ったり。
自ら試さずには何も言えないのは確かなことですから、気長に行くつもりではあります。
いずれにしても、上述のリストは一見の価値のある記録だと思います。

個人的な都合で近々に帰国予定。その際約20%と高い欧州のTVA(税金)から逃れられる、との言い訳を自らにして
パイプを購入予定。日本に送ってもらうのです。
続きます。
することがあるように思われます。
車においても然り、ファッションに於いても然り。
料理に関しては英式は完全に戦いを放棄し、その代り政治・金融に於いては無双しているの感が
あるけれど、その他の領域に関しても色々と比較の対象にはなるところ。
オペラを持ってきても良いし、代わりにパンクやロックを論じてもいい。
ニュートンとガリレイとを思い浮かべるのもありだし
カトリックとプロテスタントの比較をしても面白い。
古代ローマ帝国と近代の大英帝国覇権の対比をしてみてもいい。

好むと好まずとに関わりなく、いずれも世界の趨勢と人間の文化に大きな影響を与えてきたわけだから
私たちの意識の中に相応のインパクトがあるのも当然と言えますが
あえてそのどちらを「好む」のかと言い出すと自ずと個人の立ち位置が見えてくる。
もちろんその双方ともに興味がない、というのならそれはそれで問題がない。
とは言え、知らず影響を受けているのが本来であれば、意識して見てみるのも無意味ではないでしょう。
また、私自身は民族という概念を無批判に受け入れる程には無垢ではありませんが
そういう分野分けが一般に好まれるのも事実です。
そんな時、ふと思い出すのがかつてある本屋で立ち読みした本に
イギリス男とイタリア男のどちらが「良い」か、なんて考察があった。
誰の著作か覚えていないのだけれど、いずれにしても昭和時代、
外交官の娘的な立場のとある女史の書いたものであったのは記憶している。
これが男女が逆の立場であれば到底受け入れられないような「下品」な比較ではあると思うけれど
(立場の強い)男批評ならばその問題はクリアできる。
それに昭和当時そんな比較のできる立場にいた人なんて実際限られるであろうし
それなりの見識と筆力で書かれていれば、良い読み物にもなるというもの。
そしてそこでの結論とは、イタリア男はお洒落において非の打ちどころがない。
でも一見地味なイギリス男は、なぜかそれをはるかに凌駕する、というもの。
(ここでダンヒル党はニヤリとする。)
私個人としては、そもそもそんな比較にどれ程意味があろうか、とか
あるいはやっぱり「下品な」ことをサラリと、かつ気取って言いやがって位の感想さえ持つのだけど
一つ言えるとしたら、(男女を問わず)人は一体そんな比較をついしてしまうものであるし
また、「正統的・伝統的」であるという事に惹きつけられてしまう人も多いのだ。
あえて意地の悪い事を言うならば、それがどんなに下らない人々であると仮定しても
ハイクラスに属する人達が世紀をまたいで着こなしてきたものは
エレガントに見えざるを得ない、ということでしょう。
というより、エレガンスとはそもそもそういうものを指す、と言ってもいいのかも知れない。

そんな風に思えば、渋好みと言うのはいつの時代も通の中ではより通を指すのであり
九鬼周造の説くところの「粋(いき)の構造」においても、それは例外なく解き明かされる。
我が国の歴史を振り返ってみても、戦国の世の末、ふぇらぁりやらんぼるぎぃにを喜んで乗り回していた
秀吉が、茶の師匠である利休に成金趣味と一蹴にけなされ
それを根に持ちいずれ切腹を命じたりしたのも得心がいくと言うものなのです。
さて、そんなわけでダンヒルには興味がない、なんて(比較的普通に、でも若干は斜に構えて)
思っていた私も、少しは勉強しないといけない。少なくともそう思うようにはなってきた。
しかし、これは奥が深い。
・トリニティ・スクール/文科系・パイプ研究会
思えば20年程も前、私がイタリアのバイクに乗り始めた頃
確かに東京のトリニティ・スクールというのは耳にしたことがありました。
トライアンフ等の英国旧車を生徒が一から組み上げる、というかなりハードコアな内容で
凄えな、と思いつつも自分のスタイルではないし
当時機械いじりにも特に興味のなかった私には縁のない場所だと思っていたのです。
ダンヒルを調べていて目にするとは思わなかったけれど
(浅学にてバイカーズ・ステーションにそんな連載があるなんてことも知らなかった。)
パイプとバイクなんて男の組み合わせ、とっくに極めてる先達がいたのも
誰にでもできる事では全くないとは言え、思えば十分あり得ることだなあと。
古い英車に古いダンヒル、確かに。
しかし、アルジェリアのブライアーにオイル・キュアリング、古くて良質の木、戦前・戦後に
古いKeywoodieやピーターソン、はたまた普段使いのフレンチ系などなど
ちょっと今のところ私にはわからないことが多い。いずれわかるのかも知れないけれど、そうでもないかも知れない。
それにしてもここまでキュアリングにて味が違う、とか古い時代の良質の木がなくなったが故の誤魔化しが等と
言われると、そうなのかな、とも思いまた、いやいや心理的なものでは、とも思ったり。
自ら試さずには何も言えないのは確かなことですから、気長に行くつもりではあります。
いずれにしても、上述のリストは一見の価値のある記録だと思います。

個人的な都合で近々に帰国予定。その際約20%と高い欧州のTVA(税金)から逃れられる、との言い訳を自らにして
パイプを購入予定。日本に送ってもらうのです。
続きます。
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