第一六六稿(特別・2015年11月パリ再度のテロに//追記) - スポンサー広告語学・文化交流あるいは絶対的相対主義
FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第一六六稿(特別・2015年11月パリ再度のテロに//追記)

テレビからひっしきりなしにカミカーズ(神風)の語が流れるたびに、自爆テロを意味する外来語としてすっかり定着してしまったなと思わざるを得なくそれは憂鬱になるほど。でも、実際に被害にあった人達(世界中の)の悲しみを思えば、そんなことはとるに足りない。好むと好まざるにかかわらず、この国は今後ますます右傾化していくだろう。

FBでトリコロールが、ということに関して意見する人がいた。するとそれに対して、なぜ素直に弔意ととれないのか、と批判する人たちが多数いる。こういう時やはり思うのは、無知は罪悪だという事。あなたの行為が親切かどうかを決めるのはあなたではない。受け取る側が決めるのだ。そのうえで本当の問題は、それを指摘されることがまた新たな怨嗟を引き起こすことだ。つまり、親切でしてやってるのに何でケチをつけるのか、と逆切れするということは、今度は彼らが傷ついていると言うことを示してる。

確実に言えることは、仮に二つの陣営があると単純に想定するとして、今はそのどちらの側も自分が犠牲者だと思っている。だから終わりがない。どちらも理解を拒んでる。だから終わりがない。

だったら続ければ?気が済むまでやれば?1000年やってるのだから、もう1000年くらいは軽く続けられるでしょ。
憤懣やるかたない時は、それくらいのことを思う。どうせ世界の人口は多すぎるのだから。

仮に中東という地域が他と区別して単独で存在すると仮定して、その場合西側資本がそこから完全に手を引けば自然に鎮火するでしょう。もちろん長い長いスパンを経て。でもそんなことはできない。私たちの生活はすべて絡み合って互いに依存しているから。ということは、私たち全員の責任なのだ。そして僅かにできることとは、今より少しでも良いから見識を広めて、世界を理解することだけだ。すべてのことには理由があるのだから。少なくともそれが出発点になるはずだ。


追記(2015/11/17):
神風と自爆テロを一緒にするな、という(一部強硬な)意見の多いことに改めて驚きます。思うに、そういう人たちとはナチュラルに優しい心を持っているのでしょう。同朋や家族・友人を心から大事にする優しい人たちです。でもそれが自分たちだけだ、と特に根拠もなく思うのならそれはナイーブ過ぎると言わねばなりません。そういう優しさとは、世界中でいつでもほとんど全ての人がそうなのですから。

攻撃対象が一般無差別と戦闘員対象では違う、こう主張するのでしょう。でもこれもまた理解が浅いと私には思えます。例えば戦時中、日本軍は戦死者を打ち捨てたが米軍は後に葬るために回収していたとして、彼らは文明的だけれど日本人は野蛮だと誰かが言うとしたら(その真偽の問題は別として)、それを素直に認める日本の人はあまりおらないことでしょう。私もそうは思わない。むしろ集団としての体力が違ったのだろうと思う。栄養が良く休みがあり交代要員があり戦況が良く…逆に言えば余裕がなければ何もできない。アルプスの高所で倒れた他の登山家を助けることのできるアルピニストはいないのです。

ゲームのルールとは強者が弱者に譲るためにあるのではありません。強者間でせめて足並みを揃えるためにあるものです。ハンデを貰ったからといって上級者に勝つ中級/初心者とは実際にはほとんどいないのと同じです。神風とは私たち日本人(という強い思い込みを私個人は薄めたいのだけれども。)にとって時に崇高・神聖なものでありましょうが、「捨て身の攻撃」であることには変わりありません。少なくとも部外者から見れば同じ行為でしょうし、捨て身の攻撃を今でもする彼の地の若者にとってはやはり神聖で崇高な行為(と思い込んでいる)であるという意味でむしろ全く同じでしょう。

「捨て身の攻撃」とはやめさせなければなりませんが、敵を知らなければそれも叶いません。戦え戦え自由は負けないとアジるだけの政治家は状況を悪くするだけでほとんど虫唾が走るほどですが、でも彼らをしてそう言わしめるのは私たち「民衆」だということを忘れてはなりません。
関連記事

Comments - 0

Leave a reply

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。