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第一四五稿(日本語の勉強)

日本語の勉強を始めました。

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まさに小学生なみのエクリチュール。なんとなく胸がヒキツル感じ。
ちなみに旅行用のは今の所あまり役には立たない。


(わたくしの奥さんが)。なぜ今までやらなかったかと言えば、大変だとわかっていたから。本人は、教えてくれと言っていましたし、時々は日本語をしゃべってくれれば良いのにとも言っていた。でも全然やらなかったのは、大変すぎるのがわかっていたから。

あまりやったことがない人々に限って、「行けば何とかなる」と思いがちで、実際にはどうにもならないのが外国語です。とりわけ全然違う系列のやつはどーにもなりません。いくら頑張って数十語、よくて数百語を覚え(られ)たとしても、そのあとが立ち行かない。体系的に構造を理解して、自分で組み立てられるようにならないと未来はない。

こちらの一般的な仏人にとって通常学ばねばならない外国語とは(一応)英語だけですから、実際にはできない人たちは沢山いても、むちゃくちゃ大変だとも思ってない印象です。やればできるだろうと思ってる。あるいは行けば話せるようになる。なんてオプティミストなんだろう、と唖然と思うこともしばしばだけれど、それも環境によるのだろうなと思う。つまり外国人が結構いて、というか数世代前は外人だったとかその手の混淆は殆ど常で、ようは混ざり混ざってる。だからポテンシャル的には今後も混ざり混ざり得るし、なにより今までそんな風にして生きてきた。だからそこまで大変だと思ってない。

ただし、対日本語的にはそんなに甘くないよケケケ、と私なぞは普段意地悪く思ってるのですが―
身内に対しては微妙なわけです。すごい苦労を強いるつもりもないし…・とはいえ、カタコトで出来るなんて言って欲しくない、みたいな選民思想的心の狭さだって全くもってないわけでもない。むしろ本来はバッチリ持ってるのだと我ながら思う。ただ、自分のしてきた(と思ってる)苦労を人に強いる精神構造とは、決して健全な良いものではないと思っているので、自重する方向です。

何語であろうが、一般的に外国語学習とは―何語であろうが
  • ひたすらやる
  • コツコツやる
  • 独りでやる
  • いつでもやる
  • しつこくやる
  • 全部覚える
殆どこれくらいしかない、と個人的には思ってます。魔法の方法なんてないですし、いい学校に通う必要もない。と言うか、王道もないしいいも悪いもない。

なにやら非科学的なことを言ってるみたいですし、根性論とかぶちそうなのでほどほどにしますが、基本的には自分でコツコツやるしかないのはある程度は確信してます。そのうえで、モチベーションを保つ、とかペースをつくるとか、そんな意味で良い環境・良い教師と言うのはあるでしょうね。理論的に良いメソッドと言うのは存在しますし、色々科学的に工夫もできます。覚えやすさ、とか効率の良さ、とかもいろんな研究の対象になってますし、決して無駄ではない。

とは言え、それらはあくまで副次的要素で最終的にはやっぱり個人力かなあと。どれだけシツコイかみたいなのはある。


大事なのは、個人個人いろんなケースがあって、目標も違う。こうじゃなきゃ、という思い込みは捨てたほうが良いですね(タブンわたしも)。日本の人々は全般的にすごく真面目ですから、「正しさ」みたいな架空のものを追及しすぎる傾向がありますし、発音とかも気にしすぎる。伝わればいい、という考え方はだから意外と良いものです。厳しく勉強すると純粋主義・権威主義に陥っていく傾向がありますが、伝われば良いのです。必要がないならやる必要もないわけですしね。私自身はできてヨカッタな、と思ってますけれど。世界が拡がりますからね。


新機能(?ではないのかも)を知ったので置いてみました。訪れる人が少ないのは単に面白くないからだ、と思いつつ。複雑な気持ち。
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