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第4982バナナ(フクシマとシャルリー・エブド、冗談と「正しい」言葉遣い)
私は時々、自分は冗談も通じぬ面白くない人間だと思う。けれども、何を、どこまで冗談にできるのか、と言うのは実はとても繊細な問題だ。笑って済ませられない問題とはとかく多く、とりわけ世の中の人々の様々の違いや、そのかしこに潜んでいる弱さを思えば、決して気軽には扱えない。あからさまに何かを揶揄するような表現や、特定の人々を笑いものにする軽率なくだらぬバラエティ番組などは言うに及ばず、私達の日常の何の気なし...
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第4983カウンター(ヘイトスピーチと自己嫌悪)
右か左で争うのではなく、上だろうという言説を見かけたのだが確かにそうかも知れないと思う。もしかすると上でさえないのかも知れないが、便宜的に上としておく。いずれにしても敵が欲しいのが私達とするならば、どこかに的を定めなければならない。下(つまり弱)を標的とするのは、生物としてはあり得ることなのだろうが、いやむしろ、厳しい環境圧次第では種や集団の生き残りの為に率先してやってきたことなのかも知れないが、...
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第4984バジリカ(サン・ドニ大聖堂とバンリュー、13号線)
メトロ13号線に乗って。13という数字が特別に何か意味するのかどうか正直わからない、あるいは言い切れないのだが、もちろん特定の人々の宗教・文化の中では意味を持っている。とは言えそれがどこまで、そして誰に影響力を持っているのかを量るのは容易ではない。ただリュック・ベッソン製作のBanlieue 13というハードコアなギャング映画があったり(フランスで一番貧しいセーヌ・サン・ドニ県の郵便番号93からのメタファーがある...
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第4985スシ(外交史料館と戦争省)
夏季休暇中に在外研究に来ているとある研究者と連れだって郊外の外交史料館と言うところへ行き、百年程前の古い史料を山ほど手繰って写真に収めてきた。その数およそ千枚ほど。これをまだ数日間は繰り返すので、総数は数千枚になるのだろうと思う。手書きの史料なので非常に読みづらい上に、写真を撮りながらなので今のところは大雑把なことしかわからないけれど、それでも興味深いものが散見される。中でもその名もズバリ、「戦争...
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第4986猫(人間の進歩と猫は世界を救うか)
ところで私は、猫が好きで猫が嫌いだ。論理が破綻しているようだからもう一度書くけれど、猫が好きででも嫌いだ。正確に言えば、猫は当然かわいいけれど、愛玩動物という存在自体に時にやるせない気持ちになる。これがもし、自らの意志で自分で選んで得たものならば、特になにも思わない可能性は高いだろう。古今東西を問わず多くの芸術家・文人等がしてきたように、大層かわいがることだと思う。谷崎・漱石は言うに及ばず、今なら...
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第4987色(土地の感じと彼の地の感じ)
土地の感じと言うが、此の地と彼の地は違うだろうと言う人々は(それも数多く)いるだろう。私もそれはそう思う。それは違うのだ。土の色が異なるし、木々の緑も違う。私達は伝統的に淡い色調を好むけれど、それでは物足りぬという人々は確かに存在する。私は淡い色が好きだ。日本画の岩絵の具の色が好きだ。桜貝の淡い色味は、決して成就し得なかった若き日の恋物語などを重ねてみればそのまま涙を誘う程だ。青とも碧とも分かち難...
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第4988地中海(土地の感じとスナフキン的所有)
「土地の感じと血縁と地縁」についてまだ結論を書いてなかった。ひとつには単純な結論なんかない、ということ。二つには、当初の予定では、勿論、血にこだわるよりは地の繋がりが人類にとって重要なオルタナティブではないか、と着地するつもりだったのに、書いているうちに結局は同じことではないかと思われてきたからだ。そもそもこれらの語は日常で使うような語と言うよりは、例えば共和国的精神において誰に国籍を与えるのか、...
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第4989杯(シャンパン、あるいはシャンパーニュ=勝利の美酒)
もう先月のことになるけれど、とある取材の通訳の仕事を得たのでシャンパーニュ地方というところへ行ってきた。東へ150㎞程の場所でブドウ畑ばかりが広がる。だらだらといつまでも続く多少の丘陵はあっても大概は平たんな土地で、その先に山地が控えているわけではないことを除けば、果樹に適した扇状地などと風景としては良く似ている気がする。要は、緑みどりしたブドウ畑だ。今ではほとんどあの有名なシャンパンの産地としての...
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第4990企業(人の集まりと国家リヴァイアサン、「人工」知能社会主義)
すっかり創造力が枯れてしまった。もっともそれがあったとしての話だが。もともとそんなものはなかったのかも知れないが、少なくともその意志はあったのだ。思えば、中年になってから社会参画を強力に謳いだしたサルトルを持ちだすまでもなく、数少なくない作家・芸術家が年齢と共にその創造力の枯渇と歩を合わせるようにして政治的になっていくのも別に驚くには値しない。創造的な天才とはそもそも若さゆえになし得ることなのかも...
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第4991ルペン(あるいはメロンションと大島渚)
大統領選挙があったり、極右政党(と言われている)のルペンが大奮闘したり、長年政権を預かってきた二大党が共に惨敗したり、極左のメロンションが大島渚に極似だったりして(もっとも彼は討論中にバカヤロウ!とは叫ばないが)、ここのところあまり気持ちは落ち着きがなかった。個人的には与党社会党はむしろ大島渚を立て、左派で共闘すれば良かったんじゃないか、等とそれこそバカなことを考えたりもしたけれど、主義主張が異な...
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第4992自己批判(と逆「総括」)
機体にもヘルメットにもつけた日の丸、とりわけサイドカウルに貼り付けたのは、いかにも戦闘機然としていて「走る」時には「強くなった」ように思わせるものだった。渋滞ばかりの環状で車線間走行を強いられる時、日が落ちて視界も悪くそして寒く、冬は殆ど晴れ間もなくすべては灰色でカナシク、そんな時、かつての戦闘機乗りについ思いを馳せたりする。私は独りスタンドプレイをしているけれど、本当はこれこれのバックグラウンド...
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第4993日の丸(土地の感じ)
それでバイク乗りとは自由を愛するリベラルな人種であると、若い頃は自然と思っていたから、とある時「白バイかっけー」と殆ど憧憬の眼差しをしながら言うライダーを見て心底驚いたことがあった。映画イージーライダーあたりを見て無頼派を気取るのが「通」で、また「筋」でもあったから、反権力は当然のこととして、既成の概念や社会構造に少なくとも何らかの疑いを挟むのがライダーたるものだと思っていたわけだ。正確に言えば思...
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第4994サッカーと野球(侍ジャパンとは)
2017年の春、教育勅語がどうとか、WBCで侍ジャパンがどうとかで世間が姦しいけれど、私としてはなぜ「侍」に「ジャパン」が容易にくっつくのかの方に興味がある。パン屋を和菓子屋に置き換えたい人々が実際にいることに結構新鮮な驚きを禁じ得ないのに、侍にジャパンはなかなか剣呑ではないのか。暴論を承知で言うのなら、アメリカが大好きな右翼と言うのは存在するので、まあ似たようなものかも知れないと思ったりもする。レッテ...
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第4995ラベル(レッテルの貼り換えと細分化)
レッテルを貼る、とは通常悪い意味で言われる。でも、正確に言うならば、それが悪くなる時と場合があると言うことだろう。例えば以前、女性はこうだから…と言いがちであった私は、他の人と一緒にしないでとやんわり窘められたことがあった。つまり、こう、の内容がいかに的を得ていようと、それとは無関係に人を傷つけ得るということを知った。一纏めにすること自体に問題があったというわけだ。また此方側にしても、若い時分、あ...
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第4996翼(世の右翼と左翼の違い)
世界を把握する際、プリミティブな人間の認知さえ本来的に「どんぶり勘定的」であるとするならば、その上に乗る私達の認識というものも当然信用がおけるとは限らない。というより、ほとんど信用できないと言った方が良いだろう。なんとなれば、いちいち確認する位の方が良い、なぜなら私達は(それも容易に)間違うからだ。ところで、一言で確認する、と言ってもどうするのか。それは大きな問題だろう。人は自分の見ているモノを信...
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第4997偏見(認知システムと人の世の差別について)
いわゆる差別や偏見、先入観やクリシェ等と言うものは、人間の認知の仕組みからくる問題であることだろう。人は新しい「ナニカ」に出会った時、それをいちいち初めから認識したりはしない。つまり誰か知らぬ人に会ったとして、それをこれは有機質であり生物であり、脊椎動物であり哺乳類で霊長類か、性別は年齢はいかほどか、脅威になるのかそれとも仲良くできるのかあるいは生殖行為ができるのか等と順を追って確認したりはしない...
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第4998サバンナ(肉食と草食、そして野の花)
週末、義理の孫のベビーシッティングをしに行った。3か月程になる女児は急速に視線も明確になって、私を認識し微笑んでくれるのが嬉しいのだけど、こちらがむしろ気になったのは、(持ってないので)普段は見ないTVだった。ナショナルジオグラフィックのネコ科特集のようなものをやっていて、動物好きの妻はそれにチャンネルあわせたわけだ。ネコ科とは言え、ライオンやチーターが各々どのようにして狩りをするのか、種ごとの戦略...
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第4999風(文体と表現について)
つらつらと文をものしてそれなりの期間が経つけれど、いまだに文体には悩む。わかりやすく言うと、「論文調」と「ですます調」の狭間で悩んでしまう。実際には程よく混ぜるようにして凌いでいるけれど、本来ならば言い切りの論文調で統一したい。なぜならその方が内容に重みがあるように感じられるからだ。つまりチートである。ところが特定のテーマで物を言おうとすると、その領域内に多数いるであろう同士やら先輩やら通やらマニ...
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第5000夜(終りのはじまり)
私は死が怖いのでなるべく長生きしたいと今は思っている。二十歳の頃には秦の始皇帝の不老不死を求める気持ちは理解できなかったが、今ではわかってしまう。あるいは機械伯爵のように機械化人になってもいいと思う程だ。生物的な本能的恐れに過ぎないと思う時もあるし、または人生を愛し過ぎるが故であると思う時もある。恐らくそのいずれも真だろう。だから、どこかの億万長者(ロックフェラー)のように齢100まで生きると公言し...
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